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「告白」という小説について

村上 裕

告白、告白、と騒がれているので、どんな作品なんだろうと気になっていたのだが、とあるレビューを読んで大激怒。
憤怒、ともいえる気持ち。

※レビュー元はこれ : http://bit.ly/9yw9tF

久々に、こんなに怒った。
本当に、HIV感染者を人間兵器としているのか。
病気に苦しむ人間の血液を、他者を苦しめる凶器として提示するのか。
それも、”牛乳に血液を混ぜる”などと、感染など有り得ない方法で。
今、現実に苦しむ人達の姿を、「告白」の作者は間近で見たことがあるのか。
HIVという病気が作品にどれだけ深く関わるか、は問題ではない。
HIVという現実に存在する病気を、凶器として扱う姿勢に、深く、深く、怒りを感じる。

HIVに感染して、不安や絶望や、悩みや苦しみを抱えながら誰にも言えない人達がいる。
彼等がどれだけ苦しんでいるか、作者は知っているのか。
その心を感じたか。
その姿を見たか。
「実は」と話しを切り出す時の彼等の表情を、一度でも見ればいい。

投薬治療が大きな効果をあげる現在のHIVは、医療の分野では糖尿病のような慢性病に近い認識になっているのに。

もちろん、AIDSで死に近い人だっている。
今も頑張って生きている、古い友達の一人のように。
実際に苦しむ人間のいる現実の病名を持ち出し、人に恐怖を与える凶器というレッテルを流布しようというのか。
最悪だ。絶望の際に居る人の背中を押す可能性があることを、なぜ考えない。
ひとが、死ぬかもしれないんだぞ。

書物は、簡単に情報を広める。
そして、情報には、イメージや印象が付随する。
人は、常にイメージに左右されて生きる生き物だ。
なぜなら、人が生きるためには感じることが不可欠で、感じるという行為はイメージをつくりだす。
現実に存在する病気を持ち出すのなら、それは「この物語はフィクションです」で済む話しじゃない。
物語が植えつけたイメージは、当事者にとってはフィクションにならない。

HIV に感染して、誰にも言えずに居るひとは、確実に居る。
それこそ、いつも遊ぶような近しい友達にも言えずにいる人達が、居るんだ。
多分、多くのひとが想像するよりも沢山に。
そして、そういう人達のなかには、突然、自殺をする人もいる。
遺された人間は、どうして…と悔やむ。
失われてからでは、遅いものもある。
大切なひとの、命のように。
物語が植えつけたイメージは、当事者にとってはフィクションにならない。
そしてそのイメージは、誰かを生き辛くさせる。

ある医師が言った言葉を、僕は何度も口にする。
その言葉に、自分の願いも付け加えて。
HIVのひとにも、HIVではないひとにも。
心理カウンセリングのクライアントにも、クライアントではないひとにも。
何度でも、言ってきた。
これからも、何度も言う。


「あるお医者さんいわく、今のHIVは、糖尿病と同じ慢性病みたいなものなんだって。
投薬治療で、検出限界以下にウィルスを減らすこともできる。
だから、大丈夫だよ。
セックスだってできる。
人に触れることができる。
これからも、生きていけるよ。」


自分が誰かに言った言葉は、形が変わっても、また誰かに伝わっていく。
誰かから、誰かに。
伝わっていく言葉が、誰かの助けになればいい。
伝わっていく言葉が、死に向かう誰かの足を引き止めてくれればいい。
だから僕は、言い続ける。
生きていて欲しいと思うから。

ひとは、生きていなければ、幸せになることすらもできないから。

死んだらもう、幸せにも不幸にもなれないから。


だから、生きていて欲しいんだ。

Posted by村上 裕

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