定期の心理カウンセリングを受けてきました
新年、明けましておめでとうございます。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
今年は巳年。
ヘビは脱皮をすることから、ずっと昔から「再生」の象徴なんて言われてきましたね。
今の自分の内側にある、新しいものをゆっくり育てて、
時期がきたら、きゅうくつなものから抜けだして、
瑞々しい自分になっていく。
けれど、抜けだしたあとに残った自分の古い殻も、
「おつかれさまだったね」なんて声をかけて、そっと大切に抱きしめてあげる。
巳年の象徴のヘビから浮かぶそんな姿は、なんだか人間のこころの営みに似ていますね。
さて、私は新年早々、心理カウンセリングを受けてきました。
意外に思うかたが多いようですが、心理カウンセラーは、心理カウンセラーだからこそ、
定期的に自身も心理カウンセリングを受けます。
カウンセリングって、自分の心をもっともっと豊かにしてくれる、そんな素適な時間だから。
実は私、これまでは声を大にして言うことが出来なかったんですが、
実家が福島県福島市なので東日本大震災の被災者なんです。
これまで私はずっと、福島に住んでいない東京で暮らす自分を、
震災の被災者だと思えませんでした。
あの災害が起こったその瞬間に、あの場所に居たひとしか、
「被災者」って思ってはいけないように感じていたんです。
東京に暮らしている自分、あの瞬間、あの場所にいなかった自分。
亡くなった親戚が居たのに、お葬式があると教えて貰えなかった自分。
そんな自分は、福島に暮らす家族や親戚、友人たちの輪から、
外れてしまったように感じて。
でも、震災のことを縁遠く感じている(ように見えていた)、
東京で楽しそうに暮らすみんなの輪にも入れない。
そんな、この世界のどこに自分を置けばいいのか分からない寂しさが、
実は、ずっと心の奥底の深いところにあったんです。
「しかたない」と納得していたつもりだったけど、
実はそれは納得ではなくて「諦め」だった。
カウンセリングで、こころの出来事をゆっくりと優しく解きほぐしていって、
はじめて声に出せたことで気づきました。
私はずっと「悲しい」と言いたかったんです。
悲しいと言って、泣きたかった。
大切な故郷が変わってしまって、失われてしまって、悲しい。
心のなかの大切な思い出が、相馬の海が無くなってしまって、悲しい。
晴れた日の朝、生まれて初めて海を見た、あの相馬の海の美しさ。
空は青くて、どこまでも水平線が広がって、波はきらきらと光っていた。
世界はこんなにも美しいと教えてくれた、あの光景。
家族が笑っていて、ひとは青空の下で楽しそうに過ごしていた、
あの相馬の青い海。
その海にもう二度と行けないような絶望感が、
この2年ずっと、心のなかにあった。
けれど、そんな悲しみと絶望感のむこうで、
気づいてくれるのを待っている、自分の心は教えてくれる。
自分の大切なものを大切なまま、抱きしめてあげていいんだよ。
大切な思い出も、あの美しい海も、こころの中から失われていないんだよ。
東京に暮らしていたって、福島を大切におもって、悲しんでいいんだよ。
こころの中で、思い出のなかの相馬の海は、いつだって「また会えるよ」と言ってくれた。
涙を流しながら目を閉じれば、あの海も、世界の美しさも、鮮明に蘇ってくる。
大切なものは何一つ失われていなくて、ただ、変わっただけ。
虐待や暴力がずっとあって、大切な人たちが何人も何人も亡くなって、
捨てたつもりでいた故郷だけれど。
私は、福島が大好きだったんです。
これからも、大好きなんです。
東京で暮らしているけれど、私はここから、福島を思い続けていい。
心理カウンセラーは、そんな故郷を思い返す心の旅を一緒に歩く、旅の仲間でした。
人の心に寄り添う。
それは決して難しくはなくて、けれど、とてもかけがえのないこと。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
今年は巳年。
ヘビは脱皮をすることから、ずっと昔から「再生」の象徴なんて言われてきましたね。
今の自分の内側にある、新しいものをゆっくり育てて、
時期がきたら、きゅうくつなものから抜けだして、
瑞々しい自分になっていく。
けれど、抜けだしたあとに残った自分の古い殻も、
「おつかれさまだったね」なんて声をかけて、そっと大切に抱きしめてあげる。
巳年の象徴のヘビから浮かぶそんな姿は、なんだか人間のこころの営みに似ていますね。
さて、私は新年早々、心理カウンセリングを受けてきました。
意外に思うかたが多いようですが、心理カウンセラーは、心理カウンセラーだからこそ、
定期的に自身も心理カウンセリングを受けます。
カウンセリングって、自分の心をもっともっと豊かにしてくれる、そんな素適な時間だから。
実は私、これまでは声を大にして言うことが出来なかったんですが、
実家が福島県福島市なので東日本大震災の被災者なんです。
これまで私はずっと、福島に住んでいない東京で暮らす自分を、
震災の被災者だと思えませんでした。
あの災害が起こったその瞬間に、あの場所に居たひとしか、
「被災者」って思ってはいけないように感じていたんです。
東京に暮らしている自分、あの瞬間、あの場所にいなかった自分。
亡くなった親戚が居たのに、お葬式があると教えて貰えなかった自分。
そんな自分は、福島に暮らす家族や親戚、友人たちの輪から、
外れてしまったように感じて。
でも、震災のことを縁遠く感じている(ように見えていた)、
東京で楽しそうに暮らすみんなの輪にも入れない。
そんな、この世界のどこに自分を置けばいいのか分からない寂しさが、
実は、ずっと心の奥底の深いところにあったんです。
「しかたない」と納得していたつもりだったけど、
実はそれは納得ではなくて「諦め」だった。
カウンセリングで、こころの出来事をゆっくりと優しく解きほぐしていって、
はじめて声に出せたことで気づきました。
私はずっと「悲しい」と言いたかったんです。
悲しいと言って、泣きたかった。
大切な故郷が変わってしまって、失われてしまって、悲しい。
心のなかの大切な思い出が、相馬の海が無くなってしまって、悲しい。
晴れた日の朝、生まれて初めて海を見た、あの相馬の海の美しさ。
空は青くて、どこまでも水平線が広がって、波はきらきらと光っていた。
世界はこんなにも美しいと教えてくれた、あの光景。
家族が笑っていて、ひとは青空の下で楽しそうに過ごしていた、
あの相馬の青い海。
その海にもう二度と行けないような絶望感が、
この2年ずっと、心のなかにあった。
けれど、そんな悲しみと絶望感のむこうで、
気づいてくれるのを待っている、自分の心は教えてくれる。
自分の大切なものを大切なまま、抱きしめてあげていいんだよ。
大切な思い出も、あの美しい海も、こころの中から失われていないんだよ。
東京に暮らしていたって、福島を大切におもって、悲しんでいいんだよ。
こころの中で、思い出のなかの相馬の海は、いつだって「また会えるよ」と言ってくれた。
涙を流しながら目を閉じれば、あの海も、世界の美しさも、鮮明に蘇ってくる。
大切なものは何一つ失われていなくて、ただ、変わっただけ。
虐待や暴力がずっとあって、大切な人たちが何人も何人も亡くなって、
捨てたつもりでいた故郷だけれど。
私は、福島が大好きだったんです。
これからも、大好きなんです。
東京で暮らしているけれど、私はここから、福島を思い続けていい。
心理カウンセラーは、そんな故郷を思い返す心の旅を一緒に歩く、旅の仲間でした。
人の心に寄り添う。
それは決して難しくはなくて、けれど、とてもかけがえのないこと。