2012年夏「LGBT東京パレード 緊急開催!Save the Pride!」
8/11(土)に、東京都の代々木公園にて、「LGBT東京パレード 緊急開催!Save the Pride!」という2012年夏のセクシャルマイノリティのパレードが開催されました。
今年の参加者は500人〜600人ほどだったそうです。
先日、主催のケータさんとお話しするご縁から、パートナーと一緒にパレード会場に遊びに行きました。
このパートナー、現在で付き合って8年半になりますがかなりのインドア派。
家でのんびりする事が大好きな人なので、パレード会場に一緒に行くと聞いたときは「珍しいこともあるもんだなあ」とびっくりしたくらいです。
夕方から仕事が入っていたので、残念ながらパレードに参加してあるくことはできず、途中、近隣の友人宅に避難して暑さをしのぎながら、パレード出発直前まで会場に集まった皆さんと場をご一緒させて頂きました。
会場には色んな人がいて、誰かと笑っている人もいれば、ひとを探している人、難しい顔をしている人、真剣に耳をかたむけている人、キョロキョロと周りを見ている人、いろんな人がいました。
ここに居るたくさんの人たちは、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、インターセックス、ア・セクシャル、パン・セクシャル、ストレート、他にもいろんなセクシャリティを持った方々なのだなあと思うと、なんだか、暖かな気持ちになりました。
この人達は、確かにここに居るんだな、って。
その帰り、SoftBankショップに立ち寄ろうと彼が言い、それに付いていきました。
彼の目的はSoftBankの家族割の申し込み。
そう、SoftBankでは、同性同士でも住所が同じで生計を共にしていれば、家族割の申し込みができるのです。
このSoftBankショップで、とあるできごとがありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お仕事があるので、東京ゲイパレードからひと足先に帰宅。
帰り道にSoftBankショップで彼氏と家族割申請。
「僕たちゲイカップルなんですけど、家族割くめますか?」
と言った彼氏に
「はい、住所がご一緒ならもちろん大丈夫です」
と店員さん。
特別じゃない、自然な対応が嬉しかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という内容を、僕が個人的に持っているTwitter(現在、カウンセリングルームP・M・Rの公式Twitterはありません)に、投稿しました。
この日の仕事は23時頃に終わったのですが、その時点で多くの方々にRTして頂いていました。
どうしてこのツィートが、こんなにたくさんの方々にRTされていたんだろう、と考えてみました。
たぶん、私がこの文章に込めた気持ちが、なんとなく響いてくださったのかなと思います。
私はこの日本のなかで、ゲイであることが、特殊でも、特別でも、異常でも、異端でも、はみ出し者でも、社会のすみっこに居るもの、でもない、ごくありふれた自然なものになっていったらいいな、と思います。
髪の色や、目の色、肌の色が違うように、ただ当たり前の自然な違いである。
そうなっていくことが、私の理想です。
じゃあ、そうなるにはどうしたらいいか。
私はこれまでに、ホットドックエクスプレス、Badi(バディ)、TokyoGraffiti(東京グラフィティ)、GQ(ジーキュー)等の雑誌や、2010年には DREAMS COME TRUE(ドリームズカムトルゥー) さんの駅前ポスターやテレビCM、アルファロメオ(Alfa Romeo)さんのWEBマガジン、石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会、などに出させて頂きました。
(改めて、関わってくださった全ての方々、ありがとうございます。心から、感謝しています。)
これら全ての場でいつも私が思っていたのは「私という、たくさんのゲイの中の1人がここにいますよ」という、存在表明と可視化でした。
昔、私が虐待を受けていたころ。
色んな暴力のひとつに 「存在の無視」 がありました。
幼い私が泣くことも、叫ぶことも、痛みを訴えることも、すべてが無かったことのようにされていました。
それは、彼等にとって私の存在が無いものだったからです。
私の心の原風景のひとつには、この、その存在を無いものにされた経験があります。
「私はここに居ますよ」
何かに姿を表すとき、いつだって私の心の中にあるのは、そんなメッセージです。
「私はここに居ますよ。
だから、あなたもそこに居てください。
そして、良かったら話しかけてくださいね。」
そんなメッセージです。
これまで多くのものに出させて頂いたあと、肯定的な言葉、暖かな言葉、ポジティブな言葉、応援する言葉、いろんな言葉が届きました。
そして、否定的な言葉、冷酷な言葉、ネガティブな言葉、侮蔑の言葉、そういった言葉も頂きました。
また、無関心、様子見、いずれにも偏らない中立、そういった態度の表明も見受けられました。
世界に存在が馴染んでいくというのは、そういった言葉や表現が、安全に受発信されることだと、私は思います。
その人の大切にしている色んなものが脅かされず、ただ意見の交換として安全に行われること。
そのために今の私に出来ることは、私という1人のゲイがここに居ますよと姿を現し、私の気持ちと意見を伝えること。
これは、ゲイの心理カウンセラー村上裕としての在り方のひとつでもあります。
顔と本名、住んでいる場所、それらを公表しているのは、日本にもゲイの心理カウンセラーが居るという、存在の確かさを感じて頂くためです。
8月11日の夏のパレード以来、いろんな意見や言葉がインターネットで交わされています。
安全な意見交換で大切なことは、ふたつ。
相手を貶めなくていい、相手の意見を変えようとしなくていい、相手をやっつけなくていい。
だから、自分の意見や感情を諦めなくていい、自分の本当の願いを変えなくてもいい。
このふたつです。
あなたと私の意見は違うけれど、お互いにとって大切なものなんだよね、という、ただそれだけでいいんです。
パレードにまつわる全ての言葉と表現が、安全に交わされることを、切に願います。
今年の参加者は500人〜600人ほどだったそうです。
先日、主催のケータさんとお話しするご縁から、パートナーと一緒にパレード会場に遊びに行きました。
このパートナー、現在で付き合って8年半になりますがかなりのインドア派。
家でのんびりする事が大好きな人なので、パレード会場に一緒に行くと聞いたときは「珍しいこともあるもんだなあ」とびっくりしたくらいです。
夕方から仕事が入っていたので、残念ながらパレードに参加してあるくことはできず、途中、近隣の友人宅に避難して暑さをしのぎながら、パレード出発直前まで会場に集まった皆さんと場をご一緒させて頂きました。
会場には色んな人がいて、誰かと笑っている人もいれば、ひとを探している人、難しい顔をしている人、真剣に耳をかたむけている人、キョロキョロと周りを見ている人、いろんな人がいました。
ここに居るたくさんの人たちは、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、インターセックス、ア・セクシャル、パン・セクシャル、ストレート、他にもいろんなセクシャリティを持った方々なのだなあと思うと、なんだか、暖かな気持ちになりました。
この人達は、確かにここに居るんだな、って。
その帰り、SoftBankショップに立ち寄ろうと彼が言い、それに付いていきました。
彼の目的はSoftBankの家族割の申し込み。
そう、SoftBankでは、同性同士でも住所が同じで生計を共にしていれば、家族割の申し込みができるのです。
このSoftBankショップで、とあるできごとがありました。
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お仕事があるので、東京ゲイパレードからひと足先に帰宅。
帰り道にSoftBankショップで彼氏と家族割申請。
「僕たちゲイカップルなんですけど、家族割くめますか?」
と言った彼氏に
「はい、住所がご一緒ならもちろん大丈夫です」
と店員さん。
特別じゃない、自然な対応が嬉しかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という内容を、僕が個人的に持っているTwitter(現在、カウンセリングルームP・M・Rの公式Twitterはありません)に、投稿しました。
この日の仕事は23時頃に終わったのですが、その時点で多くの方々にRTして頂いていました。
どうしてこのツィートが、こんなにたくさんの方々にRTされていたんだろう、と考えてみました。
たぶん、私がこの文章に込めた気持ちが、なんとなく響いてくださったのかなと思います。
私はこの日本のなかで、ゲイであることが、特殊でも、特別でも、異常でも、異端でも、はみ出し者でも、社会のすみっこに居るもの、でもない、ごくありふれた自然なものになっていったらいいな、と思います。
髪の色や、目の色、肌の色が違うように、ただ当たり前の自然な違いである。
そうなっていくことが、私の理想です。
じゃあ、そうなるにはどうしたらいいか。
私はこれまでに、ホットドックエクスプレス、Badi(バディ)、TokyoGraffiti(東京グラフィティ)、GQ(ジーキュー)等の雑誌や、2010年には DREAMS COME TRUE(ドリームズカムトルゥー) さんの駅前ポスターやテレビCM、アルファロメオ(Alfa Romeo)さんのWEBマガジン、石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会、などに出させて頂きました。
(改めて、関わってくださった全ての方々、ありがとうございます。心から、感謝しています。)
これら全ての場でいつも私が思っていたのは「私という、たくさんのゲイの中の1人がここにいますよ」という、存在表明と可視化でした。
昔、私が虐待を受けていたころ。
色んな暴力のひとつに 「存在の無視」 がありました。
幼い私が泣くことも、叫ぶことも、痛みを訴えることも、すべてが無かったことのようにされていました。
それは、彼等にとって私の存在が無いものだったからです。
私の心の原風景のひとつには、この、その存在を無いものにされた経験があります。
「私はここに居ますよ」
何かに姿を表すとき、いつだって私の心の中にあるのは、そんなメッセージです。
「私はここに居ますよ。
だから、あなたもそこに居てください。
そして、良かったら話しかけてくださいね。」
そんなメッセージです。
これまで多くのものに出させて頂いたあと、肯定的な言葉、暖かな言葉、ポジティブな言葉、応援する言葉、いろんな言葉が届きました。
そして、否定的な言葉、冷酷な言葉、ネガティブな言葉、侮蔑の言葉、そういった言葉も頂きました。
また、無関心、様子見、いずれにも偏らない中立、そういった態度の表明も見受けられました。
世界に存在が馴染んでいくというのは、そういった言葉や表現が、安全に受発信されることだと、私は思います。
その人の大切にしている色んなものが脅かされず、ただ意見の交換として安全に行われること。
そのために今の私に出来ることは、私という1人のゲイがここに居ますよと姿を現し、私の気持ちと意見を伝えること。
これは、ゲイの心理カウンセラー村上裕としての在り方のひとつでもあります。
顔と本名、住んでいる場所、それらを公表しているのは、日本にもゲイの心理カウンセラーが居るという、存在の確かさを感じて頂くためです。
8月11日の夏のパレード以来、いろんな意見や言葉がインターネットで交わされています。
安全な意見交換で大切なことは、ふたつ。
相手を貶めなくていい、相手の意見を変えようとしなくていい、相手をやっつけなくていい。
だから、自分の意見や感情を諦めなくていい、自分の本当の願いを変えなくてもいい。
このふたつです。
あなたと私の意見は違うけれど、お互いにとって大切なものなんだよね、という、ただそれだけでいいんです。
パレードにまつわる全ての言葉と表現が、安全に交わされることを、切に願います。