“カウンセラー”への憤り
そして、申し訳ない気持ちになることがあります。
インターネットで “ ゲイ カウンセリング ” と検索すると、ほぼTOPページに私のこのブログが出てきます。
それは本当に有り難いことで、それだけ多くの方の関心があるのだなと感じます。
でも同時に、寂しくもあります。
私は、私の他にもゲイの心理カウンセラーに現われて欲しいんです。
実名を堂々と出し、どんなメディアにも姿を現すことができる、そんなゲイの心理カウンセラーに。
個々の心理カウンセラーにもやっぱり個性はあって、クライアントの中には私に相性の悪さを感じておられるかたもいるかもしれません。
(いつも有意義な時間を過ごせたと仰ってくださる、クライアントの方々のお言葉はありがたく信じています。)
何かを選ぶ時、大事なのは、選択肢があることだと思うんです。
一択しかなく「選ぶしかない」状態ではなく、いろんなゲイの心理カウンセラーがいて、その中から気に入ったゲイの心理カウンセラーを「選ぶことができる」。
それが、とても大事なことのように思うのです。
さて。
時折クライアントの方々から、とある団体のカウンセラーさんのお話しを伺います。
実名が出なくとも、ゲイのカウンセラーがどこかにいることは本当に嬉しいことです。
でもね、その方(方々)は、相談に訪れたクライアントに否定の言葉を投げかけるというのです。
「ゲイとして生きるなら、今のままじゃダメ」「ゲイとして幸せになるなら、◯◯しなきゃ」「ゲイとして、、、、、」etc、、
言いたい。
それは、心理カウンセリングじゃない。
そして、ゲイという生き方の幸せは、個人が決められるほど薄っぺらいものじゃない。
ゲイという生き方の幸せは、その生き方を選んだ個々の方が決めることです。
カウンセラーという名のもとに、その人物が決めることじゃない。
決して。
心理カウンセリングってね、決してクライアントの人となりをカウンセラーが分析したり、決め付けるものじゃないんです。
今、目の前におられるそのクライアントが、どう生きたいか、何をしたいか、どうしていきたいのか、何を思うのか。
世界にただひとり、誰も代わりになんて成れないそのかたの、思いと意思に添い、それを実現するサポートをするんです。
もちろん、提案やホームワークをお願いする時もあります。
クライアントにきちんと確認をして。
でも、命令したり、決めつけたり、そんなことはしません。
もしもそんなことをするカウンセラーがいるなら、それは心理カウンセラーではありません。
いま遭遇している心のトラブルを、どうにか解決したいという心意気を持って訪れるかた自身を、否定する。
それは、とても酷い、乱暴なことだと私は思います。
そんなカウンセラーがいることに、同じ心理カウンセラーとして、深い怒りを感じ、恥ずかしく、申し訳なく思います。