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日本で初めてのゲイの心理カウンセラー、この11年を振りかえる ②(中期)

村上 裕

こんにちは。
ゲイの心理カウンセラー、村上裕です。
 
2018年7月7日に、カウンセリングルームP・M・Rは創業11年となりました。
多くの方々の御助力と御支援に、心から感謝申し上げます。
これからも頑張りますので、引き続き、ご縁を頂ければ幸甚です。
 
私は2007年に、日本で初めてゲイであることを公表した心理カウンセラーなのですが、つい先日に内輪向けの企画で「ゲイの心理カウンセラーとしての11年を振りかえる」というテーマで文章を書きました。
11年間、大変だったことやつらかったこともあったのですが、苦労自慢や不幸自慢とか、カウンセラーはつらい職業だ、というふうに誤解されるのが嫌で、今まであまりゲイの心理カウンセラーとしての自分の心情を言うことはありませんでした。
 
ただ、2007年の頃、セクシュアル・マイノリティにとって社会が全く安全ではなかった時代に、どんな気持ちでゲイの心理カウンセラーを始めたのかを知ってもらったほうがいいよ、と助言を頂きました。
日本で初めてゲイの心理カウンセラーを始めた人が、何を考えて感じてやってきたのかを共有することで、セクシュアル・マイノリティの心理カウンセラーという道を迷う人に何か伝わるものがあるはずだ、とも仰って頂き、私自身もそのとおりだなと思ったので、インターネット上で公開することにしました。
 
個人の心情ですし、過去の日記からの引用もあって日記調の文章なので、お見苦しい文章もあるかと思いますが、ご容赦ください。
不特定多数の方々に向けて、脆くて弱い自分の内面を見せることに深い恐怖もありますが、新しい誰かとの御縁に繋がってゆけばとも願っています。
 
本ブログのコメント欄やSNSで、気軽にコメントや感想を頂ければ嬉しいです。
どんなご感想も、有り難く、拝見させて頂きます。
 
 
 
●ゲイの心理カウンセラー 中期
 
2010年。3年が経った。
僕はまだ生きている。
インターネットで、アメリカでゲイの人が銃殺されたというニュースを見た。
油断はしない。
僕を憎む誰か。
殺しに来るなら来い。
 
不思議に思うことがある。
ホームページには、ちゃんと僕の経歴を載せている。
大学で心理学を学んだわけではないこと、臨床心理士でもないこと、医者でもないこと、未熟な人間であることも。
僕よりも優秀な人は、たくさんいるのに。
毎年、何千人も医者や看護師や臨床心理士の人達がうまれているのに、まだ、僕以外に誰もゲイの心理カウンセラーが居ない。
レズビアンの心理カウンセラーも、バイセクシュアルの心理カウンセラーも、トランスジェンダーの心理カウンセラーも居ない。
おかしい。
僕なんかが始めて3年も経ったのに、まだ、僕以外に誰も居ない。
僕みたいな人間でもゲイの心理カウンセラーができると証明すれば、ちゃんとした誰かがセクシュアル・マイノリティの心理カウンセラーを始めるんだと思ったのに。
誰も、しない。
誰も、いない。
なんなんだ。
どうして、誰もやらないんだ。
 
ゲイや、レズビアンや、トランスジェンダーの心理カウンセラーが居ないかと、インターネットを検索すると、いつも目にする。
2ちゃんねるの掲示板。
ゲイの心理カウンセラーが低学歴で無資格でうさんくさいと書いてある。
自分以外に誰か居ないかと探すたびに、いつも新しいものを見つける。
わかってるよ、そんなこと。
じゃあ、お前達がやれよ。
僕よりまともで、僕より優秀で、僕と違ってちゃんとした人間なんだから、お前達がやれよ。
ゲイの心理カウンセラーを名乗っても、少なくとも3年は生きられるって証明できたんだから。
 
話しをしようよ。
僕の何が不充分で、どうすれば良いと思うのか、ちゃんと教えてよ。
顔を見て、目を合わせて、ちゃんと話してよ。
僕だって、どうしたらちゃんと人の役に立つゲイの心理カウンセラーであれるのか、知りたいんだ。
誰も居ないんだよ。
自分と見比べられる人が、誰も居ないんだ。
どうすれば良くなれるのか、比べられる人が誰も居ないんだ。
僕しか、居ないんだ。
ゲイの心理カウンセラーがうさんくさくて、未熟で、何もかもが足りないなんて、僕自身が一番知ってるんだよ。
 
そんなに批判をできるくらいに、あなたたちは、カウンセリングとか心理学のことを考えてるんだろう。
うさんくさいと思うくらい、貴方たちの、理想のゲイの心理カウンセラーのイメージがあるんだろう。
それをちゃんと教えてよ。
そうしたら、頑張るから。
ちゃんと話して、教えてよ。
そういうものが実現できるって、証明するから。
ちゃんと、教えてよ。
貴方たちだって、あの頃の僕みたいに、ちゃんとしたゲイの心理カウンセラーが居て欲しいって、望んでるんだろう。
僕は貴方たちの期待に応えられないカウンセラーだけど、貴方たちがそういう人になれる何かを示すから。
遠くから石を投げないで。
ちゃんと、話そうよ。
貴方たちがゲイの心理カウンセラーに何を望むのか、教えてよ。
ゲイの心理カウンセラーが、僕以外に、誰も居ないんだ。
 
  
TokyoGraffitiというカルチャー雑誌から、僕と彼のインタービューをしたいと連絡があった。
色んなカップルのかたちを読者に紹介する雑誌で、僕のブログやPMRのホームページを見てくれたらしい。
職業欄にゲイの心理カウンセラーと書いて良いということだったので、御依頼を引き受けることにした。
彼も協力すると言ってくれた。
 
TokyoGraffitiが発売された後、DREAMS COME TRUEさんのTVCMに出演しないかというオファーが来た。
LoveCentralというアルバムのプロモーションで、色んな愛の形を紹介するひとつに、ゲイのカップルを起用したいという企画らしい。
彼に相談をした。
数日迷った後、一緒に出ようと言ってくれた。
CMを見た人に殺されるかもしれないし、ゲイの心理カウンセラーへの誹謗中傷に巻き込まれるかもしれないよと言ったら、それでも良いよと言ってくれた。
僕の人生の中で、彼が僕を見つけてくれたことは奇跡のようなことだったんじゃないかと思う。
なぜ彼は、そんなに僕のことを好きで居てくれるんだろう。
僕より素適で魅力的な人は、世の中にいっぱい居るのに。
 
LoveCentralのTVCMが流れ始めた。
どのチャンネルでも、ふとCMが流れて、テレビに僕と彼が映し出される。
日本人アーティストのCMにゲイの人が正式に起用されたのは、初めてのことだと知った。
どの駅のホーム広告にも、大きなポスターが掲載されている。
数ヶ月間、北海道から沖縄まで、全国のJRや私鉄で掲載されているらしい。
中野駅で電車に乗る時に、ホームで自分が映るポスターを見ると、少し嬉しくて、ものすごく怖い。
渋谷に行ったら、渋谷109の大きな画面にCMが流れていた。
彼と手を繋ぐ僕が映ったのを見た時、ここに僕が居ると誰かが気づいたら、その人に殺されるのかもしれないと思った。
インターネットでは、ゲイの世界では快挙だと喜ぶコメントが少しと、男同士で気持ち悪いというたくさんのコメントがたくさん流れてた。
Gladxxというゲイの人向けの情報サイトで、ゲイのライターさんがとても好意的に書いてくれていた。
匿名ではなく、僕みたいに実名と顔を出しているゲイの人が堂々と称賛してくれたことは、なんだか誇らしかった。
いつか、この人に会えたらいいなと思った。
 
 
2012年。5年が経った。
僕はまだ生きている。
この5年、誰も殺しには来なかった、カウンセリングルームに火を点けられることも無かった。
インターネットに溢れる批判は、僕の心を傷つけることはあっても、僕を殺すことは無い。
世界は、僕が思っていたよりは、安全な場所だと思ってもいいのかもしれない。
後ろから誰かに突き飛ばされる心配は、もうしなくていいのかもしれない。
ホームの一番前に立たないのと、消火用の水を用意するのは、もう習慣になったけど。
 
5年が経って、まだ僕以外に、セクシュアル・マイノリティの心理カウンセラーは誰も居ない。
ということは、そういうことなんだろう。
ただただ、僕以外の誰かが現れるのを待つだけでは、だめなんだ。
僕がただ耐えるだけでは、次の人は現れない。
TVに出ても、雑誌に出ても、次の人は現れない。
ただゲイの心理カウンセラーを続けていくだけでは、次の人は現れない。
僕自身が何かをしなくては、次の人は現れないんだろう。
あの頃願った優しい誰かは、世界のどこかにきっと居る。
でも、その人が必要とする何かが、きっと足りないんだろう。
 
ゲイの心理カウンセラーの僕に近づいてくる人の中に、僕から貰おうとする人達が居た。
知識や、経験や、関わりや、お客さんや、お金。
その人達が望むものを渡すことで、その人達が次の誰かになってくれるならと思ったから、望むものを望むように渡したけれど、その人達は、欲しいものを僕から受け取ると満足してしまった。
そういうやり方ではダメだと学んだ。
そういうやり方では、ただただ、その人を依存させてしまうだけなんだと思う。
 
日本で初めてのゲイの心理カウンセラーとして、僕がしなければいけない何かについて考えた。
たぶん、伝えることだ。
1回ごとのカウンセリングが、カウンセリングルームP・M・Rを続ける毎日が、真っ暗な中の手探りだったなかで、学んだこと。
大学でも、セミナーでも、有名なカウンセラーさんでも、どこでも教えてくれなかったこと。
クライアントの方々が教えてくれた、生身の人の、心のこと。
ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー、Xジェンダー、アセクシュアル、ノンセクシュアル、パンセクシュアル。
キリスト教徒、創価学会、外国人、混血、二重国籍、HIV、DV、レイプ、借金、アダルトチルドレン、発達障害、身体障害、子どもの居ない男女の夫婦。
PMRに来てくださったいろんなマイノリティの人が教えてくれた、生身の人の、心のこと。
当事者の人にしか分からない、社会と、人生と、心のこと。
クライアントの方々が、カウンセリングの時間の中で教えてくれたこと。
それはきっと、僕しかしらない、僕だけが知っていること。
 
きっと、僕がしなければいけないのは、それを共有することだ。
世界のどこかにいる、優しい誰かに共有することだと思う。
望むように渡すのではなく、その人にとって必要なかたちで、その人が望む未来に繋がるようなかたちで、伝えて共有することだ。
あの頃、僕が願った優しい誰かが、その人が望むような心理カウンセラーとして、社会に現れることができるために。
あの頃、あんなにも居て欲しいと願った優しい誰かが必要としているものを、きっと僕は持っている。
クライアントの方々が教えてくれたそれを、僕はその人達に渡したい。
 
どうすれば、それができるかを考えた。
小学校や中学校、高校や大学での、セクシュアル・マイノリティの授業?
それが最も効果的だと思うけど、まだ早い。
そこで教育をするには、そもそもの下地が足りない。
じゃあどこで? どうやって?
思いついたのは、僕が心理学やカウンセリングを学んだ母校だった。
調べたら、まだ渋谷にあった。
企画書を書いて、アポイントを取った。
 
僕が学んでいた頃にスタッフだった人は、偉い人になっていた。
あれから5年経ったんだから、この学校も色々変わってるんだろう。
「 ゲイの心理カウンセラー養成講座 」というタイトルで、新しい講座を開始することになった。
カウンセラーを養成するための専門学校なのだから、ここから始めれてゆけばいいだろう。
新しい講座を開講するのに伴って、週2日勤務の業務委託契約をした。
週2日なら、PMRの経営もしながら、なんとかやりくりできるだろうと思う。
 
少しして、解決!ナイナイアンサーというバラエティ番組から、カウンセリングルームP・M・RにTV出演のオファーがあった。
実名と顔を公開しての、ゲイの心理カウンセラーとしての出演。
うん、やろう。
ゲイの心理カウンセラーという人が居ることを、知ってもらおう。
殺されるかもしれないけど、殺されないように気をつけよう。
カウンセリングの時間のなか、たくさんの人と話したことで、世界には悪い人が居るのではなくて、人間には悪いことをしてしまう瞬間があるのだと学んだ。
誰もがそうで、誰もがふと悪いことをしてしまう時があるだけなんだ。
父親も、母親も、保母も、施設の子ども達も、クラスメイトも、先輩も、教師も、いつも悪人だったわけではなくて、悪いことをしてしまう時があっただけだったんだろう。
たまたま、その対象が僕だっただけだったんだろう。
この体が頑丈で、良かった。
僕の体が頑丈で、自殺できるほど強い人間でもなかったから、彼等が人殺しになることが無かったんだから。
それは、良いことだったんだろう。
だから、僕が憎くて殺そうとする誰かが来たとしても、僕は殺されずに生きよう。
僕が死ぬことで、人殺しをつくらないために。
僕が、生きて彼とあの未来にたどりつくために。
優しかったあの人が、この世界に確かに生きていたと、僕だけは憶え続けていられるように。
いつか現れる次の誰かに、クライアントの方々が教えてくれた大切なことを手渡していけるように。
 
番組が放送され始めて、インターネットにはやっぱりたくさんの僕への悪意が溢れていたけれど、優しい言葉やリスペクトの言葉を見かけるようになった。
セクシュアル・マイノリティではなく、ストレートの人達の言葉のなかでも。
ゲイの人、レズビアンの人、トランスジェンダーの人、何人かの人は、ナイナイアンサーに出演する僕の姿を見て、自分もセクシュアル・マイノリティのカウンセラーになりたいと言っていた。
ストレートの人にも、将来はセクシュアル・マイノリティを支援するカウンセラーになりたいと言う人達が居た。
 
嬉しかった。
5年経って、やっと、あの頃いて欲しいと願った優しい誰かの存在を感じられた。
やっぱり、この世界のどこかにそういう人は居てくれた。
ありがとう。
僕は、貴方達に、ずっと会いたかったんだよ。
貴方達のような優しい人が居てくれることを、ずっと、願っていたよ。
ありがとう。
この世界は、最低じゃなかった。
あの人が生きて、彼が僕を見つけてくれたこの世界は、最低じゃなかった。
あの日から始めた僕の人生には、きっと、価値と意味があった。
あの人が助けてくれた僕の命は、無駄じゃなかった。
 
面白い人と知り合った。
アプリを通じて話しかけてくれた人。
でも、会話の中で文末にwを使うのが嫌だ。
僕以外のゲイの心理カウンセラーの人が居てほしくて、でも居なくて探して、そのたびに何度も2ちゃんねるで見たwという文字を使われるのが嫌で、その文字を使うのをやめてほしいとお願いしたら、聞いてくれた。
僕に、そういうふうに接してくれた人は初めてだ。
でも、会うまではどんな人か分からない。
ゲイの心理カウンセラーだと分かった上で、僕を利用するのではなくて、僕と友達になってくれたらいいなと思うから、慎重に関わろう。
ゲイの心理カウンセラーをしている村上裕という人がどういう人間かを、ちゃんと分かってもらおう。
僕は、その人の理想通りにはなれないから。
 
会って話してみたら、面白い人だった。
でも、複雑な人だった。
僕とは違うかたちで、独りで生きてきた人かもしれないと思った。
僕はその人と友達になりたいと思った。
その人は、カウンセラーになりたいと言った。
じゃあ、その人がカウンセラーになったその時に役に立てるよう、PMRを続けていこう。
その人が心理カウンセラーになった時、カミングアウトをするかは分からないけれど、その人がそうしたいと思った時、それができる場所になるかもしれないから、PMRを続けてゆこう。
 
 
委託元の会社で「 ゲイの心理カウンセラー養成講座 」が始まった。
30人の人が受講する。
約半分以上の人が、セクシュアル・マイノリティの当事者。
講座の価格は半年間で20万円以上。
凄い金額だ。
僕にお金が入るわけではないけど、ゲイの心理カウンセラーとして、この人達の役に立てるよう、頑張ろう。
全員が、ゲイや、レズビアンや、トランスジェンダーや、いろんなマイノリティの心理カウンセラーになるわけではないだろうけど、この中からきっと、次の誰かが現れるだろう。
そしてその人がモデルになって、また次の誰かが現れていくと思う。
 
委託元の会社で僕の直属の上司となった人が、カウンセリングルームP・M・Rを閉鎖して、会社に吸収させろと言ってきた。
こちらの方が規模が大きいし、株式会社で企業なのだから、個人事業で僕が営むよりも良いだろうということだった。
PMRに来るクライアントにとっても、こちらに来るほうがいいだろう、と言われた時、違和感を感じた。
どういう意味だろう。
そして、PMRに来るクライアントに講座の受講生になってもらって、ゲイの心理カウンセラーを育ててゆけばいいだろう、と言われた。
そうすれば、会社も大きくしてゆけると。
場に居合わせた他のスタッフは、僕は個人事業主で会社で働かせてもらっている立場なのだから、そうするべきだと言った。
僕は会社からお金を貰っているのだから、会社にPMRのクライアントを紹介するのは当然だと。
それで、思った。
この人達は個人事業体を見下していて、僕が頑張ってきたこれまでに価値が無いと言っていて、お金が欲しいだけなんじゃないのか。
あの頃、誰も居なかったから。
今も、誰も居ないのに。
だから僕がやろうと思って始めたものを、この人達は、自分たちより価値が低いと言ったんじゃないのか。
クライアントの人達が教えてくれた大切なことを、お金儲けの道具にしようとしてるんじゃないのか。
ゲイの心理カウンセラーである自分を知った誰かに殺されるかもしれないと思いながら生きる毎日を、この人達は知らない。
少しづつでも得てきた、PMRやゲイの心理カウンセラーを信じてくれた人達を、貶めたんじゃないのか。
うさんくさいと思いながらでも来てくれて、ゲイの心理カウンセラーと関わり続けてくれて、僕を信じてくれた人達を、馬鹿にしたんだ。
それは、駄目だ。
PMRに来てくれる人達をお金のために利用させてはいけないし、この人達にそういうことをさせちゃいけない。
僕の命と人生の価値と意味を、僕以外の人間に決めさせてはいけない。
それは、間違いだ。
上司の要望を、断った。
 
それから、会社ではパワハラが始まった。
何らかの理由をつけて、本来の契約日以外に無給での出勤を命令されるようになり、契約外の業務を指示されることが多くなった。
他のスタッフが失敗した案件の二次対応をすることが増え、その案件が温和に着地しない場合は、僕の報酬金額を下げられた。
朝から深夜まで会社に拘束されるようになり、報酬は日給1万円になった。
僕が体調を崩し始めると、僕が休めるように配慮するということで、PMRのクライアントの紹介を要求されるようになった。
僕の代わりに、カウンセリングをしてくれるそうだ。
大丈夫ですよと断り続けていたある時、会社に損害を与えたという理由で1ヶ月間、支社への出向を強要された。
月給5万円、宿泊施設無し、経費は自己負担、休暇は2週間に1日、業務時間は朝から深夜、常駐スタッフは僕1人。
業務範囲は、経理、営業、サービス提供、顧客管理、クレーム対応、来賓対応、清掃、他あらゆることの全て。
それらは全てPMRでやっていることだから、できることではあった。
僕は個人事業主だから。
ただ、5階建てのビルである大阪支社で、それを1人でできるのかは分からなかった。
上司は僕を殺したいのだろうなと思った。
 
支社出向の1ヶ月を終えて、東京に戻った。
僕は委託業務契約の見直し要求をし、会社に関わる立場もメインスタッフではなく、間接的な外部受注への変更を要求した。
上司はとても怒り狂っていたし、カウンセラーとしてのモラルか、社会人としての責任感がと言っていたけれど、僕を殺そうとした人の言葉を聴く気にはなれなかった。
そして、僕はある日の夜中に倒れ、病院に緊急搬送をされた。
 
病院のベッドの上で、考えた。
ドクターは「あと1日遅かったらもっと大変なことになっていた。なぜ早く病院に来なかったの?」と険しいけど優しい声で言った。
看護をしてくれる2人のパートナーは「だから言ったでしょ」とだけ言った。
僕は初めて「うん、言うとおりだったね」と言った。
僕は、何かを間違った。
だからこうなった。
 
何を、間違ったんだろう。
あの頃いて欲しいと願った優しい誰か、僕の次に現れて欲しいと思った誰か、そういう人に必要なものを渡す手段を、自分のちからではなく会社にして貰おうとしたから、間違った。
大切なことを僕が会社に依存したことで、彼等に僕やゲイの心理カウンセラーというタイトルを利用させてしまった。
僕が願い、望んだものなのだから、これは僕がやらなきゃいけないことだったんだ。
 
本当に大切なことを自分でやらずに会社にやってもらおうとしたから、僕は上司に洗脳されても自覚できず、僕を愛してくれるパートナー達の言葉を受け容れなかった。
真剣に考えてくれる2人の気持ちや、僕に必要なものを伝えようとしてくれる2人の言葉を、僕自身が聞こうとしなかった。
企業だから、株式会社だから、僕よりキャリアや経歴のある人達だから、セクシュアル・マイノリティの心理カウンセラーを育てられるわけではなかった。
そもそも、もしそうだったなら、僕以外にゲイの心理カウンセラーはとっくの昔に現れていたはずなんだから。
僕が、僕自身の人生の中で決めたミッションだったのだから、僕が常に中心で在り続けなければならなかった。
自分の命の使い方を会社に任せたから、会社に僕の命を利用させてしまった。
そういうふうに、僕は間違った。
 
退院して会社に連絡をした時、そもそも僕との業務委託は終了していると言われた。
理由は、僕が入院をするような、業務委託を遂行する能力が無い人間だから、ということだった。
志を持って心理カウンセラーを育てると理念を掲げる会社でも、何かを間違うとこういうことをしてしまうのだと学んだ。
それと、どうやれば人を洗脳し、人生に残る傷をつけることができるかも、学んだ。
だから、僕は絶対にそれはしないと誓った。
心理学もカウンセリングも、人を洗脳するために使ったり、心に深い傷を残すものであってはいけないはずだ。
 
 
2015年。
ゲイの心理カウンセラーを始めて8年が経っていた。
 
 
 
※関連記事※
 
・日本で初めてのゲイの心理カウンセラー、この11年を振りかえる ①(初期)
http://paintingmyroad.blog14.fc2.com/blog-entry-133.html
 
・日本で初めてのゲイの心理カウンセラー、この11年を振りかえる ③(後期〜現在)
http://paintingmyroad.blog14.fc2.com/blog-entry-135.html 
   
 
 
●カウンセリングルームP・M・R
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著書:「孤独な世界の歩き方」http://goo.gl/7Ky4UB
 
Posted by村上 裕

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