”生きる”

村上 裕

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なんかこう、久々に書く日記はワクワクするなあ。
ボンヤリと、思ったままを書こう。
何も気にせず、こころに浮かぶことばで。

ここ最近知り合った友達も、
古い馴染みの友達も、
まだ会った事のない方々も(数人しか居ないけど)、
知人としか表現のしようが無い、けれど俺が一方的に好意を抱いている方々も、
みんな元気かい?

からだも、こころも元気かい?



早いもので、中野に引っ越してきて、約3ヶ月がたちました。
寝耳に水の引越し騒動と彼氏の大喧嘩も乗り越えて、ようやく、中野という場所に慣れてきた感じ。

府中の家に住んでいる頃、彼とよく「新宿の近くに住みたいねー」と話していた。
それは多分、友達に会ったり、家電製品を見たり、映画を見たり、仕事に行ったり、そういう、毎日の出来事の中継地点が新宿だったからだろう。

府中の家に住んでいた頃、僕達は、新宿の近くに引っ越せば、何か楽しいことがあると思っていた。
「引越しをしてもいい?」と聞いた日の翌日に物件を見つけてきた彼の気持ちを想像すると、もしかしたら、僕以上に新宿近くに住みたかったのかなと思う。

そうして中野に引越しをしてきて、縁(えん)と出会った。
色々な手続きがあって、ようやくこの家で動物を飼育してもオッケーと管理会社に言われた日の翌日に、我が家にやってきた小さな子猫。
よくよく考えたら、それも凄い話しだ。
保護主さんとのタイミングが合わなかったら、きっと縁とは出会えなかった。

最初は、手のひらに乗るくらいだった小さな子猫が、一ヶ月半であっという間に大きくなった。
いのちって、すごいなあ。
僕のところに来てくれて、ありがとう、縁。
きっと、きみのほうが先に死んでしまうのだろうけども、一緒に、幸せに生きよう。


そう、それと、雑誌にも載せて頂いた。
東京グラフィティ。
9月末発売号に載せて頂いたのだけれども、それが好評だったとのことで、11月末発売号にも載せて頂くことになった。
さらに今回は、とあるテレビCMにも出させて頂くことになった。

僕達はまったくテレビを見ないのできっと見る機会は無いと思うんだけど、CMを見かけたら感想をきかせてください。
11月後半から流れるらしいです。
WEBとか街角広告とかにも載るらしいですが、あんまりよくわかりません。
詳細はまだ言っちゃダメですよ、という証書にサインを書いたので、詳細は言えないのです。


それに、そうだ、中野に来てからツイッターとGraderを始めた。
ツイッターをしていなければ絶対に知り合わなかったであろう人達が居て、Graderが無ければ話すことのなかった大好きな人が居る。

人との縁は、何かひとつでも欠けていたら出会えなかったであろうものばかりで、今の自分を生かし続けてくれる人達を思い浮かべるたびに、怖くなる。
だって、何かの要素が欠けていたら、出会えなかったのだと思うから。
それは、とても怖い。

何かが違っていれば、今いてくれる皆とは違う人達と知り合い、出会い、仲良くなっていたろう。
それはそれで楽しかったのかもしれないが、僕は、傍に居てくれるのが今の友人達で良かったなと思うし、感謝もしている。

もしも”今”に繋がっているためだったというのなら、今は全ての過去に感謝ができる。


10/30~10/31は大切な人の命日。

自分ととても良く似た生い立ちで、命の恩人で、初恋の男で、寒い冬に首を吊ったばかもん。
彼が居なかったら、僕は生きていなかった。
でも、あいつは僕が居たのに、生きてくれなかった。

憎悪も、後悔も、悲しみも、寂しさも、感謝も、愛しさも、湧き上がる全ての感情をもう受け入れ尽くして、今は美化の限りを尽くされた思い出たち。
それらは、ふと日常の中で思い出しては、思わず笑顔にさせてくれる。
そんなだから、ここ数年はもう彼の命日のことなんてすっかり忘れていたのだけど、今年は命日の当日にふと思い出したので、久々に献杯をすることにした。


何を飲もうかと思い、ふと思い出したのは、今年の大阪大会のおり、古い馴染みがくれた誕生日プレゼント。
「誕生日、おめでとう」と言って渡してくれた、赤ワイン。
高校3年生の冬に彼が死に、解離症状や鬱病、その他もろもろの精神症が本格的に酷くなり、もうどう生きていけばいいかわからなくなっていた自分を、助けてくれた人達のひとり。
あれから10年。
早いもんだ。

あの頃に知り合った友人達が居なかったら、きっと僕は、今の僕には成っていなかったろう。
自分を人として育ててくれなかった過去と、大切な人達を死においやった人間達と、事故や病気で簡単に死ぬ世の中の不条理と、絶え間ない絶望しか与えてくれない世界を、恨んで、憎んで、孤独で、自分だけが不幸で、もうどうしようもないと思っていて。

そんなふうに生きなくて、良かった。
幸せや嬉しいことを自分の手で探し、優しい人達と仲良くなってもいいのだと、教えて貰えてよかった。
僕は、ひとに恵まれた。
ほんとうに、恵まれた。
ありがとう。
あなた達が幸せであるように、いつも、祈っているよ。



ボンヤリしながらコルクを抜いて飲んだ赤ワインは、そりゃもう、めちゃくちゃ美味しかった。
今まで飲んだワインの中で、いちばん美味しい。

嬉しくなった。

この人生をくれた初恋の人の命日に、大切に思う人がくれたワインを飲めて、そのワインが美味しいってことが、最高に嬉しかった。


美味しいものは、凄い。

ただ美味しいという当たり前のことだけで、ひとを幸せにする。


嬉しくなってワインを飲み始めると、暗い井戸の底で汚泥を這いずり回っていた頃の友人たちを思い出した。
人間らしいということがどういうことか、見せてくれ、教えてくれた友人たち。
彼等の顔を順番に思い出し、エピソードを思い出し。
そして、梅田駅前で号泣した自分を抱きしめてくれた大阪の友達はどうしてるのかなぁ、とか、アクアビートやflowerのみんなは今はどうしてるのかなぁ、と、ぼんやり思った。
亡くなったという話しは伝わってこないから、みんなどこかで生きてるだろう。

今も傍に居てくれる人達と、もう、連絡先も分からなくなってしまった人達。
両方とも大切に思っていたのに、このふたつにどんな境目があったのか、今ではもう思い出せない。


そう、その後は、大学生ナイトの面々を思い出した。
僕の大学生活といえば、口の悪い大学の悪友と、大学生ナイトとエクスクラメーション、あとはOverRay、そんでもってACEだ。

クラブが好きで好きでしょうがなくて、毎週行ってた。
大学生ナイトというイベントを知り、スタッフに入れてもらい、同世代と一緒にクラブイベントを作った。

それまで”学校”という場は、クラスメートに暴力を受け、イジメを受け、教師に黙殺されるだけの場所だったから、実は同世代との接し方なんてまともに知らなかった。
それでも、みんなは当たり前のように、一緒にイベントをつくる仲間だった。
青臭くて、くすぐったい、けど、例えようもないくらいに嬉しかったあの感じは、きっと、ずっと忘れない。

ACEで一年働いて、そりゃもう色んな意味で凄い場所で、あそこは戦場だった。
「ACEの若い子ちゃんチーム」第1期生の片割れの戦友は、一年でリタイヤした僕と違って、ACEの最後まであの場所に居続けた。
なんかだかもう、さすがだ。ほんとうに。
何も相談せずに辞めた僕を怒ってくれて、ありがとう。
AKIさんが亡くなったあの朝、あの現場に居合わせた時点で、僕はもう何かが限界だったんだよ。

そう、それに、とあるPHXの夜に流れたMisiaの”忘れないで”の時、泣く僕の手を握ってくれた彼女の暖かさも忘れられない。
手を握っていてくれて、ありがとう。


そういえば、バドミントンを始めたのもこの頃だ。
運動不足の解消のためにと始めたバドミントン。
「勝手にしやがれ」のみんなが、ラケットの振り方からルールまで全部、教えてくれたんだな。
惚れた腫れたで自殺未遂をした馬鹿男がきっかけて行かなくなったけど、僕にとってはとても大切な場所だった。

あそこが無かったら、僕はバドミントンをやってなかったんだろうな。
あの頃の、扱いづらかったであろう自分を受け入れて、教えてくれて、ありがとう。
バドミントンやって、本当によかったよ。
やっていなかったら、出会えなかった人達がいたから。


ACEを辞め、彼氏と出会い、一緒に暮らし始め、その後も、ちょこちょことイベント事を手伝った。
特に「せれぶれいしょん」は心に残る思い出。

第一回目のせれぶれいしょん。
あのイベントで出会って、今も仲良くしてくれる人達がいる。
特に、2丁目で酔いつぶれてる僕を毎回ぐうぜん見つけて介抱してくれるとある友人には、たぶん一生、頭が上がらない。
ほんと毎回、なんでだか偶然に見つけて、面倒みてくれてありがとう。
毎回、無事に家に帰れていたのは、あなたのおかげです。
そう、そして、亡くなったひとも居る。
ユウゴさん、あなたのお葬式に、行けてよかった。


大学を卒業した後、民間の心理カウンセラー養成スクールに通い始め、心理学がいかに不完全であるかを知り、カウンセリングは技術でしかないことを思い知り、そして、海外研修としてニューヨークに行った。
初めての海外、ひとりで出国し、ひとりで入国し、海外で会う日本人の有り難さを思い知り、ひとりで寒い朝に暖かいホットサンドを手に入れた。
虐待を受けた子供と、虐待を受けた動物が暮らす、グリーンチムニーズ。
子供たちと、動物たちと、ひたすら広い牧舎学校に圧倒され、英語はわけが分からなかった。
でも、あのひとの目がとても優しかったのは、言葉が通じなくても分かったんだよ。

SATCの名場面をめぐり、チェルシーストリートに行ってアメリカの発展場に迷いこんで驚愕し、ブロードウェイを闊歩し、白人の老人から差別用語を投げつけられ、新しい出会いを楽しみ、クラブにも行った。
あの刺激的な2週間の何日かを過ごした彼等は、俺にとってはとても不思議な友人達。
日本には居ない。
でも、元気で居ると信じている。



そんなふうに、ゆっくりと思い出をふりかえって、気がつけばワインのフルボトルは空になっていた。



本当に、10/31は、とても良い命日を過ごした。
ひとりで過ごす、穏やかな時間。

自分を活かすものたちを、思い返す時間。


人間は、人間として育てられるから人間という生きものになるのだと、今でも信じている。
狼に育てられた少女は、生涯、人間のようには生きられなかったのだから。
人間らしい喜怒哀楽は、誰かが教えてくれないと、芽生えないものだから。

そして、”生きる”ということは、ただ息をして、食事をして、排泄をして、眠って起きることではないということも、信じている。

ひとが生きるということは、心が活きることだと。
感情が摩滅し、情動が動かなくなり、感じる機能が劣化した心は、きっと、活きていない。
”活きる”というのは、”活きて動く”ということ。
活動ということ。

ひとが”生きる”ためには、ただ身体が生きていればいいわけではなく、こころもまた、いきていなければいけない。


僕を生かしてくれる人達と、その人達を生かしてくれる誰かと、その誰かを生かす知らない誰かと。
ひとという生き物がそんなふうに繋がっていくのなら、そのすべてのひとが”生きて”いて欲しいと、願わずにはいられない。


いま、生きているひとたちに、ありったけの感謝と愛情を込めて。


こんな、まとまりのない日記を読んでくれて、ありがとう。

Posted by村上 裕

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