プロフィール

村上 裕

Author:村上 裕
WEB:http://www.pmr-co.com

東京都の中野区に住んでるゲイの心理カウンセラーです。

セクシャリティに捕らわれず、どんな方からの依頼もお賜りしています。ただ、自身がゲイなので、ゲイの方から心理カウンセリングのご依頼を頂くことが多いです。

( ※ 宜しければ、私自身の詳細は、下記 【 カテゴリ 】 の 【 はじめに 】 をご覧くださいませ。)

今日も心理カウンセリングを求める方へ会いに、北へ南へ走り回っています。


ひとを傷つけ、時に死に至らしめるような残酷さと、

苦しみの底に居る人の、生きる支えになるような暖かさ。

その両方を持っているのが人間だと思います。

そして、そんな人間といういきものが、本当に大好きです。



※このブログはリンクフリーです。ご申告は不要です。
 気にいってくださったら、是非リンクをお願いします。

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2012/05/11 (Fri) 14:03
心理資格の国家資格化について、私の意見。

みなさん、こんにちは。
暖かな日ざしが増えて、昼寝にぴったりな1日が増えてきましたね。
私も、心理カウンセリングの合間にベランダで日向ぼっこをしています。
ここちよい風に触れて、気持ち良い時間です。

みなさんも、お元気に過ごされておられますか。
幸せだったり、楽しかったり、嬉しかったり、苦しかったり、つらかったり、悩んでいたり、思い思いの日々を過ごされているでしょうか。
私は、みなさんが、人間らしい日々を送っていることを望みます。


さて、実はこの5月の国会で、心理資格を国家資格にしようという動きが起こっています。
もちろん国家資格になるのはとても意義あることで、私自身、かねてより望んでいたことでもあります。
しかし、今回の国家資格化の内容が、ゲイの世界にとって大きなデメリットが発生する懸念があり、私は、政府に対して再考をお願いする立場をとっています。

簡単にご説明すると、今回の心理資格の国家資格化のポイントは以下5つ。

・心理資格の国家資格認定を得ることができる人物を、心理系4年制大学を卒業しており、さらに大学院を卒業するか、施設にて相談業務に数年従事した者に限定する。

・医療・保健、福祉、教育・発達、司法・矯正、産業等の、多領域にまたがる汎用性のある資格にする。

・他専門職との連携をとりながら業務を行い、特に医療提供施設においては医師の指示を受ける。

・心理的支援を必要とする者とその関係者に対して、心理検査、心理的支援、心理相談、心理療法、問題解決、地域支援等を行なう。

・国民の心理的健康の保持及び増進を目的とした予防と教育を行なう。

(原本:http://www.onyx.dti.ne.jp/~psycho/09info/20120126_3dantai_R.pdf)

つまり、医療に限らず福祉や企業、学校などに介入できる国家資格にして、その資格を修得できる者は心理系の大学卒業者に限定しよう、という内容です。
これまでの大学教育のカリキュラム内容の見直しや、現在の心理カウンセラーの技術向上や均一化の視点ではありません。

心理系の大学では現在、ゲイを初めとするセクシャルマイノリティについて正しい知識を学ぶカリキュラムがありません。
ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、インターセックス、パンセクシャル、アセクシャル、クエスチョニング、など様々なカテゴリーのあるセクシャルマイノリティについて、正確な知識を得ないまま卒業するのです。

卒業後、心理職をめざすかたが個人的にセクシャルマイノリティのことを勉強する、という可能性はあるかもしれませんが、それも個人の興味に左右されてしまいます。

加えて、大学では、心理分析は学べても、心理カウンセリングは学びません。
心理カウンセリングと心理分析は異なる技術なのです。

簡単に説明すると、心理カウンセリングは、心理カウンセラーがクライアントの方に対して全肯定の心をもってお話しを聴き、苦しい状況の解決策を検討していくための技術です。
その過程で、心理療法を使うこともありますが、基本は会話を前提としたコミュニケーションです。
どんなことに苦しみ、どんなことに好感を抱き、どんなことに迷うのか。そのひとつひとつを丁寧に知っていきながら、解決策を一緒に見つけ出していきます。
これが、私の用いている手法の基本です。

心理分析は、分析者がクライアントに対してどんな感情を持っているかはさておいて、クライアントがどんな精神状態にあるかを分析してお伝えするための技術です。
分析をしたら、後は基本的にクライアント自身に解決策の見い出しを委ねることが多いです。
態度や接し方は分析者の感情に左右されますし、クライアントと同じ目線で一緒に考えて見つけていく、という方向性ではないことがほとんどです。

私には、上記のこれらがとても危険なことのように感じます。
「心理カウンセラーになれるのは、心理系の大学卒業者だけ。
 しかし、その大学卒業者は、セクシャルマイノリティの事を理解していない。」
からです。

その方々が、心理カウンセリングを提供することは、とても怖いことだと感じます。
だって、ゲイであることを伝えると「じゃあ、ゲイを治しましょうね!」って笑顔で言われてしまうかもしれないんです。
人間という生き物であることを変えることができないように、ゲイであることも変えることはできませんよね。
最近の研究では、脳機能の部分で、ゲイとストレートでは違いがあることも発表されてきました。
ゲイは、私達の生き方です。
それを理解しないまま、心理カウンセラーがお話しを聴く。
ゲイの心理カウンセラーとして、それはとても怖いです。
(日本の心理系大学の教育は、本当にそれくらいのレベルです。)

さらに付け加えて、現在の「大学出卒業者にのみ国家資格を与える」という内容だと、私自身が今後、ゲイの心理カウンセラーを続けられなくなるという実業的な問題もあります。
(私は商業系の大学卒業後に、専門学校で心理カウンセリングを勉強したので。)

今回の一報を耳にした当初は、今回の国家資格化が、現職の心理カウンセラー全員の能力の底上げや、大学に新基準を設けるような利益あるものと思っていたのです。
そうであれば、潔く大学に入り直すつもりでいたのですが、実際は想定したものでは無かったので、深い危惧を抱いている状況です。

そのために私は、今回の国家資格化について、内容の再考を求める活動を開始しています。
活動の内容としては
・国家資格化において、大学卒業者だけに限定するのではなく、民間の専門学校や養成スクールにも門戸を広げて欲しい。
・国家資格にするのなら、大学の勉強だけでなく、心理カウンセリングのトレーニングも必要条件に入れて欲しい。
・国家資格にするにあたり、セクシャルマイノリティの正しい知識も学ぶカリキュラムを組み込んで欲しい。
という内容を表明するものです。


身体の病気が誰にとっても無縁でないように、心のトラブルもまた、誰にとっても無縁ではありません。
私は、心のトラブルに遭遇したかたが、心理師によって更に苦しむことがないような国家資格にして頂きたいです。
ですが、いまの内容のままでは、そうなる可能性が非常に高いであろうと予想しています。

みなさんの中に、活動を手伝ってくださるかたや、興味を持ってくださるかた、何かご意見がある方がいれば(賛否両論にかかわらず)ぜひぜひ、私にお声がけください。

心から、お待ちしています。
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2012/04/17 (Tue) 03:12
ゲイの心理カウンセラーを30人育成します

こんにちは。
ゲイの心理カウンセラー村上裕です。
桜の花が綺麗な季節がやってきましたね。

実はいま、ゲイの心理カウンセラーを30人育成する企画を進めています。
ゲイの心理カウンセラーが30人いれば何でもできそう!
ということで30人という数字なのですが、私もこの人数は調度良いと思っています。
確かに、30人のゲイの心理カウンセラーがいたら、なんだってできそうです。

この企画と並行して、10のゲイの自殺を止めるいのちのホットラインを作ることも目標としています。
ゲイとして悩んだことがある方々にとって、孤独と苦しみが深いのはどの時期だったでしょうか。
私自身を振り返ると、それは10代だったように思います。
そして、自殺をいちばん考えたのもまた、10代でした。

Google検索で「ゲイ カウンセリング」と検索すると私がTOP表示される現在、もっと多くのゲイの心理カウンセラーに現れて欲しい。
それが、昔からの私の願いです。
(Yahoo検索では、ほかにもお見かけするようになりました。)
ゆくゆくは社団法人やNPOとすることも視野にいれているのですが、これはもう少し先になりそうです。

そこで、ゲイを含むセクシャルマイノリティのメンタルケアにぴったりな名前を考えているのですが、なかなか「これだ!」というものが閃きません。

この企画の目標は「悩んだ時の選択肢のひとつにカウンセリングが出てくるくらい、ゲイの世界にカウンセリングが自然なものとして広がること」。
そして願いは「ゲイの自殺をとめたい」です。


ぜひぜひ、みなさんのお気持ちや思いついた名前を、教えてください。
どうぞ、宜しくお願い致します。
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テーマ : ゲイについて - ジャンル : 心と身体

2011/07/14 (Thu) 02:07
すなおなことば

生きていると、幸せな瞬間や、出会いや、言葉や、時間がありますよね。

例え毎日が苦しくても、そんな一瞬は、きっとある。


その幸せを、もしも誰かと共有したのなら、あなたが幸せを感じたということを、そのひとに伝えてあげてください。

素直な気持ちで、素直な言葉で。


その言葉は、いつかそのひとが諦めそうになった時、きっとそのひとを引き留める。

生きることを諦めたくなった時や、心がこわれそうになった時、ひとを生に引き留めるのは、むかし誰かにもらった、何気ないひとことだったりもするから。


だから、毎日の中でたくさんの幸せを見つけて、感じて、それを、誰かに伝えてください。

そのことばは、いつかきっと、その誰かを助けることができるから。

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2011/07/09 (Sat) 02:24
ただ、息をしている

3月11日に東日本大災害が起こって、約4ヶ月が経ちました。

皆さんは、この4ヶ月、どう過ごしていましたか。
毎日を楽しんで、笑って、怒って、落ち込んで、悲しんで、幸せで、恋をして、喧嘩して、当たり前だったことを、当たり前のようにして、生きていたでしょうか。

私は、災害が起こって少ししたあと、無理をすることをやめました。

それまでは、
福島県の家族を助けなきゃ、とか、
仙台に友人の誰がいるのか確認してどうにかしなきゃ、とか、
この先のためにお金を貯めなくちゃ、とか、
ゲイの心理カウンセラーとして人の役にたたなくちゃ、とか、
自分自身に役割やミッションを課していました。

災害直後は、それが自分自身を支えてくれていた部分も、確かにありました。

けれど、2ヶ月くらい経って、張り詰めなくても良くなってきた頃、それらは、ちょっとだけ重たくなりすぎてしまった。
だって「今、自分はどうしたいか?」を考えた時、「ゆっくり休みたい」だったんです、その時。
こころは、そろそろちょっと休もうよ、って言っていた。

なので、いったん、無理をすることを辞めました。

のんびりゆっくり毎日を確かに生きて、ようやく落ち着きを取り戻した現在。
余裕を取り戻した今の自分からは、「あの時、もっとできたんじゃないか?」って思えたりもします。
けれど、あの時の自分は、無理を辞めて正しかったのだと思います。
なぜなら、心が、そう望んだから。

実は、災害が起こった後、丸一ヶ月は全く心理カウンセリングのお仕事がなくなってしまったんです。
生活面でも危機的状況でしたが、ようやくお仕事をご依頼してくださる方が、また、徐々に戻ってきてくださいました。
ありがたい事です。

また、色んな災害支援団体が発足し始めているようですので、自分が役にたてそうな団体で何かをしたいなと思っているところです。

ご存知の災害支援団体があったら、ぜひぜひ、情報を教えてください!




私はいま、ここに居て。

息をしている。

心が動いている。

それは、当たり前で、とても大切なこと。
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テーマ : ありがとう - ジャンル : 心と身体

2011/04/23 (Sat) 01:24
被災した方々と接する時に、大切な事

3月11日に東北関東大震災が発生してから、一ヶ月以上が経過しました。

ようやく、被災地で生活しておられる方々の状況も知ることができ始め、中には連絡をとりあったり、実際に会いに行かれた方もおられると思います。

無事なご様子に安堵した方、凄まじい光景に強いショックを受けた方、あまりにも変わりすぎてしまった日常に呆然とした方、被災地におられる方々だけでなく、被災地におられない方々の中にも、様々な心のありかたが起こってくる時期です。

また、原発に関しては今もなお、不安な日々を過ごしす方もおられると思います。


この一ヶ月を過ごし、様々な状況で日々を過ごす方々の、環境や心境に変化があったことと思います。

そこで、状況が少しづつ分かり始めた今後の被災者の方々に、言ってはいけない言葉があります。

それは 「 比べる言葉 」。
そして 「 頑張れという言葉 」。

例えば、

「Aさんはご家族が亡くなったけど、あなたは無事で良かったね」
「Bさんはお仕事先がなくなってしまったそうだけど、あなたはそうでなくて良かったね」
「Cんはもっと大変なのだから、あなたは頑張らなきゃ」

等、他にもたくさんの比べる言葉、頑張れの言葉があるでしょう。

どうしてこれらの言葉を、いま使ってはいけないのか。

「 他人より恵まれた状態で生き延びた自分 」 という意識は、時に、生き延びたことへの罪悪感を生みます。
破滅的な状況の中、生きてくださった事は素晴らしいことです。
なのに、生き延びたことを後悔する。
それは、あまりにも酷いこととです。

そして、過酷な状況で生き延び、生活している現在、すでに被災者の方々は充分すぎるほどに、頑張っておられます。
すでに全力で頑張っている方々に、さらに 「 頑張れ 」 「 頑張れ 」 と投げかけることは、言葉が生む暴力です。


もちろん 「 頑張って欲しい 」 という気持ちは、応援したい気持ち、無事を祈る気持ち、安全でいて欲しい気持ち、生きていて欲しい気持ち、そんな暖かい気持ちから発せられるものです。
決して傷つけたいわけでないのは、安全な場所にいる方でしたら理解できるでしょう。

だから、被災者の方々に応援する気持ちを伝えたいときには、

「あなたがこれからも無事に生きられるよう、私達が頑張ります。だから、元気で生きていてください。」

とお伝えすれば良いです。
(※この言葉は、被災地で支援活動をされた、ある看護師の方の文章からお借りしました。転載自由にして下さったこと、この場を借りて、感謝をお伝え致します。本当に、ありがとうございます。)


「 頑張る 」 という気持ちは、被災者の方々ではなく、ライフラインの確保されている私達に向ければいいのです。

けれど、自分自身に対して 「 頑張れ 」 と投げかけた時、その言葉があなたにとって重たければ、どうぞ 「 頑張れ 」 の気持ちを手放してください。
「 頑張れ 」 の言葉が重たければ、あなたは今、もう頑張っているからです。

今は、直接の被災者の方々や、間接的な被災者の私達を、重く追い詰める言葉は要らないのだから。



上記の例えに出した比べる言葉、頑張れの言葉は、今、とても発せられやすい言葉です。
実際、耳にされた方もおられるでしょう。
なぜ、こんなに悲しい気持ちのすれ違いが起こるのでしょうか。

それは、被災者の方々と私達とに “ 心の温度差 ” があるからです。


目の前で人が波に飲まれていく光景。
今まで暮らしていた街や家が倒壊してしまった現状。
これからの未来への不安。
ライフラインが整わない生活。
満足に情報の得られない状況。


これらの事は文章にすればたったの一文ですが、経験された方々にとっては、多くの状況・環境になります。

亡くされた方が、ご家族、ご親戚、お付き合いされておられる方、ご友人、知人の方、人間でなくとも一緒に暮らしていた命、その方にとってどんな存在であったか。
目の前で、家族が亡くなる瞬間を見た方もおられるでしょう。
また、死亡者リストの中に、縁ある方の名前を見つけた方もおられるでしょう。

亡くなった方との関係次第で受ける痛みの大きさが変わるのは、とても自然なことです。
決して、その方のこころが冷たいわけでも、残酷なわけでもありません。
けれど、関わりある命の死というものが故人との関係の深さとは別に、人の心に深く大きな傷を残すことは、やはり当たり前のことです。

そして、暮らしていた家が、住み始めてこれから歴史を刻んでいく場所であったのか、これからも安心を約束する場所であったのか、長く住み思い出がいっぱいの場所だったのか。

被害にあった場所が、新生活を始める場であったのか、日常を大切に過ごされていた馴染みの場所であったのか、静かに余生を送るための終の地であったのか。

電気、ガス、水道、医薬品、食料、生活消耗品、これらのどれが復旧していて、どれが足りていないのか。

今回の東日本大震災の被害状況や、いま生活している場所の支援について、どれだけの情報を得られているか。
そもそも、情報を得ることができる環境かどうか。


これらは、その方、おひとりごとに異なるのです。
決して 「 被災者 」 という言葉で、ひとくくりにできません。


東日本大震災は、1万4000人が亡くなったという一つの出来事ではなく、人が亡くなるという、言葉では現しつくせない痛みが、1万4000回も起こりました。
そして故人と繋がりある多くの方々の心に、今も影響を与え続けています。

そして、生きる基盤となる場所が無くなること、お金を得るために必要な仕事が無くなること、安全に生きることが難しい環境、これらでも同じことです。
比べることなど到底できない痛みが、正確な数字に表せないほど、起こりました。

今回の災害で受けた心の痛みと強さは、その方にしか実感できません。
その方の痛みと傷が他人と比べて大きいか小さいかなど、誰に決めることができるのでしょうか。

だから、比べてはいけないのです。

これから先、被災者の方々と接する時に大切なのは 「 被災者の方それぞれに状況は違う 」 ことを意識すること。
その為に 「 心の状況も、お一人ごとに違う 」 ということ。

そしてこれは、間接的な被災者である私たち同士にも、同じことが起こっています。
直接の被災地にいない私たちの間にも “ 心の温度差 ” は起こっているのです。


どうぞ、 「 被災者という、大勢のなかの一人 」 ではなく 「 被災した、ひとりの個人 」 である事をお心にとどめ置きください。

心の温度差が起こす気持ちのすれ違いが減り、人を生かし合う暖かなコミュニケーションがたくさん起こっていくことを、切に願います。
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